ブリーフセラピーの古典的名著と言われる『変化の技法-MRI短期集中療法』の紹介記事。
1ページ目ではブリーフセラピーの有名な格言の「もし上手く行っていないのなら、何か別のことを試せ」を引き合いに、同書で扱われているブリーフセラピーの特徴の1つとして、問題が解決しないのなら、たとえ効果が確証できなかったとしても、何か別のことを試してみることが必要と考えられていることを紹介しました。
2ページ目では同書の要約文を基に、ブリーフセラピーのもう1つの重要な特徴として、関係性に関する事柄を紹介します。
注) ただしこのページで述べる事柄は、伝統的な精神分析の知見も活用した私見であり、このような考え方は同書では次の引用文に見られるように、むしろ批判の的となっている点にご注意ください。
短期療法に寄与する人たちが、人間の問題を個人や対人的な病理の観点から説明している限りは、短期療法は、治療の「主流」をなす長期の治療の二次的な接近法に留め置かれる危険性がある(同書P.4)。
問題を訴えている人=変化に対するモチベーションが最も高い人
『変化の技法-MRI短期集中療法』の裏表紙にある要約文の最初には、次のような文章が記載されています。
本書は従来の精神療法の常識を覆す極めて大胆な理論を提出する。
著者らは、問題解決の努力自体がその問題を継続させるとする立場から、まず患者とみなされる人ではなく問題を訴えている人に働きかけることを主張する。
この中の「問題解決の努力自体がその問題を継続させる」との仮説の是非はともかくとして、「患者とみなされる人ではなく問題を訴えている人に働きかける」との主張には大いに賛同します。
なぜなら問題を訴えている人こそが危機意識を有し、それゆえその危機状態を何とかしたい(=状況を変化させたい)とのモチベーションを最も高く有していると考えられるためです。
変化のモチベーションが乏しい人に変化を生じさせるのはとても困難
またこの主張のメリットは、その逆の常に患者とみなされる人に対して働きかけねばならないとの考えと比較するとよく分かります。
まず患者とみなされる人が存在し、さらにその人ではなく周囲の人が相談に訪れるという状況からは、そこで生じている問題の主たる要素が典型的にはパーソナリティ障害水準にある人が引き起こす人間関係のトラブルであり、なおかつ当人以上に周囲の人の方が精神的な苦痛をより多く感じていることが予想されます。
だとすると仮に何らかの手段を取ることで、患者とみなされる人が相談に訪れることになったとしても、周囲の人に比べればそれほど問題意識も精神的な苦痛も感じていないわけですから、現状を変化させるモチベーションも当然ながら乏しいことになります。
したがって、そうした人に対してカウンセラーが懸命に変化を促そうとしても、求められてもいないことを無理矢理しようとしているわけですから、効果がないばかりか「迷惑な人」であるとして関係がこじれるばかりとなります。
ですからこうした変化に対して気が進まない人が相談に訪れたケースのブリーフセラピーのセオリーは、わざわざ足を運んできてくれたことに対して賞賛するなどして気分良く帰っていただくのが通例のようです。
それではまったく役に立っていないように思われるかもしれませんが、問題そのものとその変化に焦点を当てるブリーフセラピーでは、相談者の抵抗を克服するようなスキルはあまり重要視されていないため、このような対応にならざるを得ないと考えられます。
また仮にそうしたスキルを発展させてきた精神分析などの技法を用いたとしても、そもそも心理療法を特に必要としていない人とのセッションであることから、まずは良好な関係作りから始めねばならず、このため仮に効果が望めたとしても相当な時間を要することになってしまいます。
以上のように変化を積極的には望んでいない人と関わることに対しては、どれほど工夫を凝らしたとしても、そうではない人とのケースと比べて非効率にならざるを得ません。
ですから変化へのモチベーションが最も高い相談者と主に関わることでその人自身の変化を促し、人間関係の相互作用を通したその波及効果を狙うブリーフセラピーのアプローチの仕方は、とても理に適っていると考えられます。
以上、『変化の技法-MRI短期集中療法』で解説されているシステム論的な信念体系とは大きく異なってしまいましたが、それでも個人の病理に焦点を当てる精神分析の観点から見ても、ブリーフセラピーの相談者との関わり方のセオリーはとても有益であることを、私なりに示してみました。
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