要約:隠れ自己愛とも呼ばれる、普段ナルシスト的な性格があまり表にでないタイプの人の特徴として、親しい人とそうではない人とでは、まるで別人のように振る舞う傾向を取り上げています。
今回の記事は「隠れ自己愛的な人の極端な二面性の実例その1:媚を売るような態度〜自己愛講座41」の続編です。
今回は前回の記事ほど極端ではないにせよ、かなりの二面性を有し、かつそのことをほとんど推測できないような人について考察します。
私は仕事の予約が入っていない時には、ギャラリー巡りをするか、こうした記事をカフェやファミレスで作成するのが日課です。
その際利用するお店はある程度限られているため、必然的にそこの常連客となります。
そのため私と同じ常連の人を頻繁に見かけるようにもなります。
今回の記事は、こうした常連の皆さんの様子を窺うことで得られた知見がベースとなっています。
カフェのスタッフと非常に親しげに話す社交的な常連客
頻繁に利用するカフェにおいて、常連客はいわばお得意さんとして歓迎されるだけでなく、頻繁に顔を合わせるため、スタッフとそれなりに親しくもなるでしょう。
しかし所詮はスタッフと顧客との関係に過ぎないのですが、稀にその関係を超えて親しくなるような人もいらっしゃいます。
例えばその人が来店するとスタッフが挨拶に行ったり、あるいは休憩中に相談事を持ちかけるなどして席を共にする様子を見かけたりします。
こうした人はスタッフの誰からも大人気のようですので、よほどコミュニケーション能力に優れた人なのだろうと思っていました。
社交的なはずの人の別の側面に遭遇
ところがある時、そのスタッフの誰からも慕われるようなタイプであるはずの人が、他のお客さんに対して非常に横柄な態度を取っている場面に遭遇しました。
最初は何か嫌なことでもあって、たまたま機嫌が悪かったのではないかと思っていましたが、その後もその人が同じようなことを繰り返しているのを見て、単なる偶然ではないことが分かりました。
さらに何年も同じ店を利用していることで、このようなタイプの人は決して珍しくないことも分かってきました。
親しい人といる時以外はイライラしている
それにしてもスタッフと話をしている時には、非常に人の良さそうに見える人が、見ず知らずの人に対してなぜそこまで態度を変化させるのか不思議でなりませんでした。
しかし気になって少し観察してみて、その理由がすぐに分かりました。
その人はスタッフと話をしている時には非常に楽しそうなのですが、会話を終えて席に着いた途端にイライラした表情を浮かべ始めたのです。
自尊感情の充足が持続しない
以上のことから、恐らくこのようなタイプの人は、親しい間柄の人との関係では自尊感情が満たされても、そこで得られた心地良い感覚が持続しないため、その関係が断たれた途端に不快感に苛まれてしまうのではないかと考えられます。
そして不快な状態にあるからこそ、ストレスへの耐性を欠き些細なことでも腹が立ってしまうため、それが他のお客さんへの苛立ちとなって表れているのではないかと考えられます。
隠れ自己愛の典型
これまで何度も述べてきましたように、自己愛的な人は自尊感情の充足をもっぱら他人からの肯定的な評価やフィードバックに頼っており、その意味で親しい間柄の人といる時にだけ気分が良くなる今回取り上げたような人はその典型と考えられます。
また、それにもかかわらず親しい間柄の人にまったくそれと気づかれないほど社交的に振る舞えるという点で、隠れ自己愛とも言えます。
ソーシャルスキルは決して低くない
もっともこのように書くと、隠れ自己愛の人は他人を欺いているように思われるかもしれませんが、そうとは限りません。
恐らくこのタイプの隠れ自己愛の人は、単に自己愛的なだけでなくソーシャルスキルも決して低くないため、ひとたび自尊感情が満たされればそのスキルを遺憾なく発揮し、その結果誰からも好かれるような非常に魅力的な人物へと変貌できる反面、自尊感情が満たされない状態では自己愛的ゆえにそのストレスフルな状態に耐えられず、その結果不快感を表出してしまうのではないかと考えられます。
前回と今回考察したようなケースは少々極端なものとしても、誰でも表向きの顔を持っています。
また日常生活の様々な場面で我慢を強いられることも少なくありません。
このためこれらと対比される形で、本当の自分あるいは真の自己という概念が使われています。
次回は2回に分けて、このテーマについて考察する予定です。