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カール・ロジャーズが生み出したクライエント中心療法の「内的準拠枠」に関する考察記事。
1ページ目では、その準拠枠が異なると、同じ行為を目にしてもどれほど受け止め方(解釈)が違ってくるのかを示しました。

このページ以降では「相手の思考の枠組みをできるだけ正確に理解する(相手の立場になって考える)」という、理屈の上では単純明快な内的準拠枠なる概念も、その実践は容易ではない理由を幾つか示したいと思います。

他人の心を直接知ることはできない

内的準拠枠の活用が簡単ではない理由の一つ目は、そもそも論として他人の心を直接知ることはできないことが挙げられます。

実は当のロジャーズや後継者の多くはそれが努力次第では可能であると考えていたようで、そのため共感に関しても完璧な実践をカウンセラーに求めたようですが、現時点の科学では「他人の心を直接知ることはできない」というのが通説のようです。
したがって他人の心は推測することしかできず、その推測が当たった時だけが唯一相手の心を理解できたということになります。

他人の心の推測の正否もまた、推測に頼らざるを得ない

さらに厄介なのは、その推測が当たったのか否かを、相手がその都度教えてくれるわけではないことです。
また私たち自身も、推測したことをその都度言葉にして相手に確かめているわけでもありません。

このため私たちは日々、他人の心を推測する共に、その推測の正否の大部分をさらに相手の表情や仕草などから推測するというように、実は推測に推測を重ねながら他人とコミュニケーションを取っていることになります。
(したがって電話や文字でのやり取りでは、推測の手掛かりが対面よりも少なくなるため、その精度は低下せざるを得なくなります)

一般常識やマナーなどを活用することで、推測の精度を高めることは可能

ただ幸いなことに、親しい間柄であるほど日々の関わりから傾向のようなものが見い出せるようになること、およびそれ以外の人に対しても一般常識やマナーなどを手掛かりに推測の精度を高めることは可能なため、その都度まったく白紙の状態から推測せずに済んではいます。

人と人とが分かり合えるというのは、実は奇蹟に近いことかもしれない

以上のことから、人と人とが分かり合えるというのは実は当たり前のことではなく、むしろ推測だけに頼っていたのでは「奇蹟」に近いことかもしれず、それゆえお互いに「相手の理解に努める」だけでなく「相手に理解してもらうための努力」までもが不可欠と言えます。

これは後者の努力が伴えば、推測に頼る割合を減らすことができるためです。
加えてなかなか理解してもらえないことでストレスを増大させるよりも、遥かに快適な生活を送ることにも繋がると考えらます。

このため、これまでの阿吽の呼吸を過度に求める傾向を修正し、言われなければ解らないとする昨今の風潮には概ね賛成です。

ロジャーズの思想は理想が高過ぎる

また冒頭で紹介したロジャーズの理論やそれに依って立つロジャーズ派の人々は、他人の心の理解という難行を、普段から生活を共にしているわけでもない相談者に対しても(完璧に)遂行することを求めていることから、それがいかに高い、もっと言えば現実離れした理想のように私には思えます。

この点、共感という同種の手法を用いるハインツ・コフートを高く評価するのは、『パーソナリティ障害の診断と治療』でも指摘されているように、彼は「そのような幻想は抱いていなかった」ためです。
ですのでロジャーズが求めた相談者の「内的準拠枠」に基づく理解という概念は、努力目標くらいに思っていた方がちょうど良いのでないかと考えています。

大切なのは完璧な(共感的)理解を目指すのではなく、むしろそれは不可能であることを肝に銘じ、したがってどれほど相談者の心に接近できたと感じても、それは主観的な感覚に過ぎないことを心に留めておくことではないかと考えられます。

最後はロジャーズ派の批判のようになってしまいましたが、3ページ目では引き続き「内的準拠枠」の活用を妨げるその他の要因について考察を進めます。

引用文献

ナンシー・マックウィリアムズ著『パーソナリティ障害の診断と治療』、創元社、2005年

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