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過度の合理主義的思考と遅刻癖に潜む自己愛の病理~自分の想定は常に正しい。問題があるのは現実の方:自己愛講座46

1ページ目では、生活に支障をきたすほどの過度の合理主義的思考と遅刻癖には、自分の想定を絶対視し、思い通りにならない現実の方に問題があると考える自己愛の病理が共通して潜んでいることを考察しましたが、記事を書き終えた後に2つの症状には他にも関連事項があることに気づきました。

遅刻癖のある人は、余裕を持って行動するという発想が乏しい

若い頃の私も含めて遅刻癖のある人には、余裕を持って行動するという発想が乏しいという共通点があります。
その理由は1ページ目で考察しましたように、自分の予測に絶対的な自信があるため、その必要を認めないからですが、これ以外にも余裕を持った行動を阻む要因が存在するケースがあります。
それが私のケースにも当てはまる過度の合理主義です。

「想定通りに行動=合理的」「余裕を持って行動=非合理的」という発想

1ページ目の私の若い頃の例のような、生活に支障をきたすほどの合理主義的思考に支配されていると、時間に余裕を持って行動することで予定より早く着いてしまうことが、無駄な行為に思えて仕方がありません。
なぜなら約束の時間に間に合えされすれば良いのに、その時間よりも早く到着できるように行動しようとすれば、その分だけ自分の貴重な時間を「奪われ」、なおかつその場で無駄な時間を過ごさねばならない考えるためです。

この発想は、スマホが普及した現在でも大きく変化するわけではありません。
なぜなら確かにスマホがあれば、約束の時間より早く目的地に着いてしまっても時間を潰すことは可能です。
しかしその場合でもスマホでできることに限られます。つまり制約を受けることになります。
またスマホで時間を潰すことは、別にそうしたくてしているわけではありません。つまり仕方なくさせれている体験です。
さらに自分が先に到着すれば、後から来る人のことを待つことになりますが、この経験は少なからずイライラするものです。特に相手が約束の時間になっても現れなければ尚更です。

自己愛的な人は、制約を受けたり何かを強いられたりすることに対して著しく耐性を欠いている

実はこれら3つの経験のいずれもが、自己愛的な人にとっては平均以上に堪え難いこととして感じられます。
つまり制約を受けたり、あるいは何かを強いられたりすることに対して、著しく耐性を欠いているのです。

自己愛的な人は、遅刻が他人の迷惑になることを頭では理解している

この自己愛的な人の特徴は、1ページ目でも触れた自分の考えの絶対視とも関係しています。
なぜなら自分の考えを絶対視している人にとって、前述の3つの事柄は、いずれも意に沿わないことをさせられる経験であるためです。

もっとも自分の方が遅刻すれば、今度は相手がそれらの苦痛を味わうことになるわけですが、そのことを重要視していないように見えることも自己愛的な人の特徴です。

これはこのことを頭では理解していても、相手の苦痛を実感をもって感じ取る、つまり共感能力が乏しいため、その意味するところを軽視してしまうからです。

補足)このため「少しは他人の迷惑も考えた方が良い」などと諭されると、自分がそんなことも知らない人間だと思われた、つまり侮辱されたことに対して腹を立てる人も少なくありません。

このようにコミュニケーションに関する知識はあっても実感を伴わないため軽視されてしまい、結局その知識を有効活用できないのが自己愛的な人のコミュニケーションに関する特徴と言えます。

自己愛的な人は無意識に遅刻するような状況を作り出してしまうことさえある

話がコミュニケーション一般に広がってしまいましたので、遅刻の話に戻します。

自己愛的な人は自分の損得勘定に限定された意味での合理主義的思考に凝り固まり、かつ共感能力も乏しいため、遅刻しないように時間に余裕を持つという方策に対して意識的、無意識的に強力な抵抗が働き、常に約束の時間ギリギリを目指すことになります。
そしてそれによってたびたび焦りを感じるような経験をしても、その態度をなかなか改めることができないのは、自分の想定の正しさへの過信が邪魔しているためではないかと考えられます。

実際、無意識の抵抗の例として、当時の私は稀に余裕を持って出かけられそうな時でも、なぜか急に特に急ぎでもないことをしたくなり、それに時間を費やす結果、遅刻してしまうことがよくありました。
しかしそうして遅刻してしまった場合にも、決して望んでそうしたわけではないので、まるで遅刻するのが運命のように感じるのが常でした。

また自分の想定の正しさへの過信の例として、当時の私と同様遅刻癖のある知人は「仕事の時だけは必死に走るので、絶対に遅刻しない」と豪語していました。
つまり絶対に遅刻できない状況ではしないので何も問題はないという発想です。

以上のように、決して遅刻したくてしているわけではなく、さらには十分に間に合いそうな時でさえ遅刻してしまうため、自分ではどうすることもできないというのが、自己愛的な人の遅刻に関する悩みの核心と言えそうです。
そしてこうした自己愛的な人の意図せざる遅刻癖の要因の1つが、その人なりの、しかし社会適応を阻んでしまうような、ある種の合理主義的思考なのではないかと考えられます。

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