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引き続き主体性の有無の違いを人間関係の特徴から考察しますが、このページでは主体性が乏しい人の切実な悩みにフォーカスします。

主体性が乏しい人は自己愛的な性格構造に陥りやすい

特に3ページ目に詳しく書きましたように、主体性が乏しい人は自らの力で自尊心を維持することが困難であるため、それをもっぱら他者によって満たしてもらう必要に迫られており、その主な手段が4ページ目に記した他者による承認です。

このような主体性が乏しい人の特徴は、実は私の専門領域である自己愛的な性格構造とピッタリと重なります。
そのことを示すために、自己愛講座1に掲載した自己愛性パーソナリティの定義を再掲します。

「他者から肯定されることによる自尊心の維持をめぐってパーソナリティが構成されているような人」

※『パーソナリティ障害の診断と治療』(創元社)の「自己愛性パーソナリティ」の章の冒頭部分より引用

このように主体性が乏しい人は、自己愛性パーソナリティの定義とピッタリと重なる性格構造を有していますが、この定義は裏を返すと他者からの承認などの肯定的な働きかけがないと自尊心が失われてしまうことを意味します。

これは例えば存在価値がない(生きている価値がない)、何の取り柄もないなどの自己否定や、生きている意味が解らないなどの虚無感(空虚感)などを生じさせ、さらには日々こうした感情に襲われることから気分も落ち込みがちなため、抑うつ状態にも陥りやすくなります。

このため、この堪え難い心理状態から逃れるために、他者から肯定される機会を切望するようになる。
こうして他者から肯定されることに心を奪われる状態が恒常化し、この特徴を指し示す用語が自己愛性パーソナリティであるとも言えます。

自尊心を回復する手段が他者からの肯定に限られていることが、気疲れを生じさせる

主体性が乏しい人は、前述のような自己愛的な性格構造を有しているため、他者から肯定されることで辛い無価値感や虚無感、抑うつ状態などから脱することができます。

ところがこのようにその自尊心の回復手段が非常に限られている点が、主体性が乏しい人に新たな試練を生じさせます。それが気疲れです。
なぜなら他者からの肯定とは、どのように振る舞っても自動的に得られるものではなく、通常は相手から好かれる、少なくても嫌われていない状態で初めて得られるものだからです。

こうして主体性が乏しい人における人間関係は、他者から肯定の有無の確認のみならず、それを得るために相手の顔色を常に伺い機嫌を取ることに費やされることになります。
なぜなら、もしこのミッションに失敗してしまうと、前述の辛い感情が待ち構えているためです。

このように主体性が乏しい人にとって人間関係は欠かせないものですが、それを是が非でも良好なものにする必要に迫られているため、そのニーズに囚われるあまり、なかなか楽しむことができないという状況にあります。
むしろ常に不安と緊張に苛まれる状態と言えるかもしれません。

主体性が高い人にとって他者から肯定は必須ではないため、会話自体を楽しめる

一方の主体性が高い人は、1ページ目にも書きましたように、自分で物事を考え行動することを好み、そのような自分に心地良さを感じる(=自己肯定)ことで自尊心がある程度維持できてしまいますので、4ページ目で取り上げたような承認欲求の充足はそれほど切実なものではありません。

このため人間関係においても他者からの肯定に心を奪われることもないため、その結果気遣いに終始することもなく、むしろ苦手な人ではない限り会話の内容自体を楽しむことが比較的容易にできます。

以上のように主体性の有無は、人間関係に非常に大きな差を生み出しますが、この差が人間関係のさらに別の特徴とも関係してくると考えられます。
次のページではその点について触れます。

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