スクールカウンセラーを務める臨床心理士への産経新聞の批判記事などを基に、スクールカウンセラーに求められている保護者への助言を拒む彼らの心性を考察する記事。
1ページ目では批判内容の要約と、その見解を私が支持する理由、2ページ目では助言を拒む構造的な要因として、カウンセリング業界全体のクライエント中心療法偏重の風潮について触れました。
続くこのページと次のページでは、業界全体のクライエント中心療法偏重という構造的な問題があるにせよ、それでもひとたびスクールカウンセリングの現場に出れば、むしろスクールカウンセラー個人の判断の影響の方が大きいと考えられる点について触れます。
要因1~すべての相談にカウンセリングで対応している可能性
スクールカウンセラーを務める臨床心理士が、相談者からの助言の求めに難色を示す要因の一つとして考えられるのが、すべての相談をカウンセリングの依頼と認識して対応している可能性です。
1ページ目でも参照したスクールカウンセラー制度のガイドラインの6ページの(1)SC(スクールカウンセラー)の職務には、「様々な技法を駆使して児童生徒、その保護者、教職員に対して、カウンセリング、情報収集・見立て(アセスメント)や助言・援助(コンサルテーション)を行う」とあります。
また同ガイドラインの8ページには、児童生徒、保護者、教職員や組織それぞれへの対応業務が記載されていますが、その中にカウンセリングが含まれているのは児童生徒のみです。
それにもかかわらず自身が臨床心理士であることを理由に、保護者からの助言の求めに応じないスクールカウンセラーが少なからず存在するということは、(あくまで可能性の話ですが)普段の臨床心理の仕事の要領で、依頼された相談をすべてカウンセリングとして扱ってしまっている可能性が考えられます。
なおガイドラインには「様々な技法を駆使して」と書かれているにもかかわらず、この記事の2ページ目で想定したようにクライエント中心療法の信念に基づき頑なに助言を拒むのは、これも2ページ目で考察したように、日本のカウンセリング業界全体のクライエント中心療法偏重の傾向を自身の信念としてそのまま内在化しているためではないかと考えられます。
補足) さらに今回取り上げたスクールカウンセラーに対する世間の批判には、カウンセリングに対する認識(=定義)の違いも少なからず影響を与えていると想定されますが、このカウンセリングの定義に関する考察は別途記事にする予定です。
要因2~助言という行為自体への非常に強い抵抗感
保護者からの助言の求めに応じることができないもう一つの要因として考えられるのが、助言という行為自体への非常に強い抵抗感の存在です。
あくまで私見ですが、助言という行為は、もしかしたら悪魔に魂を売るかのような激しい罪悪感を生じさせ、それゆえもしそれを行なってしまったら臨床心理士失格のように思えてしまう。
それほど強い抑止力が、批判記事に該当する臨床心理士の心に働いているのかもしれません。
少々大げさに聞こえるかもしれませんが、過去に私自身も産業カウンセラーの養成講座で、うかつにも自身の経験に照らしてクライエント中心療法の考えを批判してしまい、指導者から叱責された経験があります。
ですからこうしたクライエント中心療法を理想視し批判を許さない雰囲気の組織に長期間属していれば、決してそこでの教えから離れられないカウンセラーが生まれても不思議はないと思います。
次のページでは、臨床心理士に特有と考えられる、ある種の自尊感情が、今回取り上げたような批判に晒されているスクールカウンセラーの態度に与える影響について考察いたします。