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情緒的共感と偽りの共感-傾聴の練習と自己受容体験の共感能力を高める効果の違い

共感(的理解)への理解を深めた心理カウンセリング体験:

共感的理解と情報提供としての直面化-心理カウンセリングで取り上げた心理カウンセリングの体験(クライエントの話に納得できたため自然と共感でき、直面化の欲求が生じなかった心理カウンセリング)は、共感(的理解)についての理解をさらに深めるものとなりました。
クライエントの話に納得できたが為に自然と共感できたという事実は、共感(的理解)というものが、心理カウンセラーによるその場の共感的な態度や努力(心理療法で言えば傾聴)によってのみ実現されるとは限らないことを示していると考えられます。

共感能力は傾聴の練習のみから得られるものではない:

またこのことは視点を変えれば、共感能力と呼ばれる心理カウンセラーの共感する能力が、傾聴と呼ばれる心理療法の練習のみから得られるとは限らないことをも示しているように思えます。
なぜなら私はある傾聴セミナーの受講時は別として、心理カウンセリングの場を除いては、ときどき必要に迫られゲシュタルト療法を用いて自分自身に傾聴(自己傾聴)*することはあっても、それ以外の時間をもっぱら自由連想法による自己分析に費やし、特に傾聴の練習の時間を設けてはいません。
もし共感能力を高めるために日々の傾聴の練習が欠かせないのであれば、そのような努力を怠っている私に冒頭で述べたような心理カウンセリングの体験が生じるはずもありません。
*自己傾聴や自己分析の記録は抑うつ型自己愛性人格の心理カウンセラーの自己分析・自己治療の記録に掲載しています。

傾聴の練習では共感能力は育たない:

また先の心理カウンセリングではこれまでとは別の体験がもう一つありました。情緒的理解ともいうべき体験です。クライエントの話を納得しながら聞くうちに、いつしか私の方も(私の方が?)感極まってきてしまったのです。
これは傾聴セミナーで朝から晩まで繰り返し傾聴の練習をこなしても、一度たりとも生じたことがなかった感覚です。
そしてこのことは傾聴の練習によってもたらされる共感能力というものに対して、疑問を投げかけるきっかけとなりました。
傾聴の練習の際にはもっぱら伝え返し(自己心理学でのミラーリング)と呼ばれる技法を用いて、クライエントにとって重要だと思われるキーワード、あるいは感情がこもっていると思われる言葉をそのまま繰り返して伝えることを行っていました。
これはそのような行為によって「クライエントが重要だと感じていることを私も同じように感じていることが伝わり、このことがクライエントに「私は心の底から理解されている」こととして感じられ自尊心が高まると考えられているためです。
しかしそのとき伝え返しをしている私の心の中に生じていたのは傾聴、そして傾聴の効果を重要視するロジャーズのクライエント中心療法の理念とは程遠いものでした…
当時の私の伝え返しの多くは、クライエントが重要視したり感情がこもっているだろうと思える言葉を漠然と繰り返しているに過ぎず、情緒的なものを何も感じていなかった、つまり共感などしていなかったのです。
そしてそれにもかかわらず形の上では伝え返しという技法を用いることで、いわば共感している振りをし続けていたのです。
このような実は共感していないにもかかわらず共感しているかのような素振りは、傾聴セミナーの終了時まで変わることなく続けられました。なぜならいくら傾聴の練習をしてもクライエントの話に共感できるようになれず、しかし傾聴のセミナーであるため共感しているように振舞わなければならなかったためです(T_T)
この傾聴セミナーでの体験は(少なくても私という人間には)傾聴の練習が共感能力を高めることにほとんど役立たないことを示しているように思えます。
ではなぜ当時の私はいくら傾聴の練習を繰り返しても、クライエントの話に共感できなかったのでしょう?
当時は分からなくて相当悩みましたが、先の心理カウンセリングの体験を経た今なら答えは簡単です。クライエントがなぜそのように考えたり感じたりするのか理解できなかったためです。
これは先の心理カウンセリングでの、クライエントの話に「そう思う・感じるのはもっともなこと」だと納得でき自然と共感できた体験とはあまりに大きな違いです。

共感能力を高める自己分析・教育分析による自己受容体験:

このように考えていきますと、共感能力を高める効果は傾聴の練習以外のことによってもたらされると仮定せざるを得なくなります。そしてそれは私が傾聴セミナー終了以降に行ってきたことから推測するに自己分析ではないかと考えられます。
あくまで私見ですが継続的な自己分析により、これまで意識されることのなかった、あるいは嫌悪していた性格的特徴などと向き合い、やがて「そういう自分でもいいんだ」と受容できる体験(自己受容体験)の積み重ねが、クライエントの話を受容(=共感的に理解)できる素地を作り出していたのではないかと推測されます。
またこのことは共感を他者受容の行為と捉えれば、他者受容のためには先ずは自己受容(体験)が必要と言い換えることもできます。
※教育分析でスーパーバイザーに共感的に話を聞いていただく行為も自己分析同様、自己受容を促す効果が期待できるものと思われます。
もっともそれは無闇に直面化などを多用されることなく、共感的に話を聞いていただけた限りにおいてのみ得られると私は思いますが…

自己受容をもたらすのが傾聴の目的なのでは?

ロジャーズは心理カウンセリングの目的を本当の自分になる(あるいは取り戻す)こととして自己受容の効果を重視しました。そして同じくロジャーズが重視した傾聴という心理療法がこの自己受容をもたらすための技法だと想定しますと、傾聴を学ぶ過程の中でもっと自己受容の大切さが強調されても良いはずです。
ところが現実には私が体験したセミナーに限らず、多くの傾聴の仕方を教えるセミナーの多くが、他者の自己受容を援助するための傾聴のスキルばかりに特化し、心理カウンセラー自身の自己受容を促す方法について教えることはほとんどないようです。
(多くの傾聴セミナーにおいて、クライエント役が心理カウンセラー役の単なる練習台*に過ぎない扱いを受けているように思えてなりません)
*例えば私が受講させていただいた傾聴セミナーでは、傾聴の練習後の振り返りの際にクライエント役の人に許されているのは心理カウンセラー役の人の傾聴の仕方に対する評価のみで、自己洞察について述べることは傾聴のスキル習得にまったく関係のないものとして禁じられていました。
しかしこのような方法では私が体験した限り、共感した振りをするスキルは上達しても、感情を伴った本当の共感(情緒的共感)を感じる能力はほとんど育たないように思えます。

共感能力を高めるセミナー・個人レッスンのご案内:

最後に私事で恐縮ですが、共感能力を高める効果が期待できると思われるセミナー・個人レッスンをご案内させていただきます。

自己分析個人レッスン
自己分析セミナー
精神分析の自由連想法を利用して自己受容能力を高める自己分析の個人レッスン・セミナーです。
ゲシュタルト療法による自己傾聴 個人レッスン
ゲシュタルト療法による自己傾聴セミナー
自己傾聴とは造語ですが、イメージ療法の一つであるゲシュタルト療法の技法を使って文字通り自分自身に対して心理カウンセラーのように傾聴する技法です。自己分析よりもさらに高い自己受容効果が期待できます☆

共感をテーマとした心理学の本

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